関東大震災 (1923年) 後の東京市におけるスポーツ公園の新設 : 大日本体育協会の「建議」を背景として
「I はじめに」 「1. 背景と目的」 「地震大国」とも称される日本は, これまで幾度となく災害に見舞われてきた. 中でも1923(大正12)年9月1日に発生したM7.9の関東大震災は, 大規模な揺れと火災によって首都圏に甚大な被害をもたらし, 有史以来の大災害として語り継がれている. そして, 帝都復興院総裁, 後藤新平の大構想に始まった6年半にわたる「帝都復興事業」は, 被災した東京・横浜を近代的な都市として再興させた歴史的事業として評価されている. さて, 社会を混乱に陥れたこの震災に際し, 当時の体育界の中心にいた人々は何を考え, どのような行動を起こしたのか. この点について, 真田...
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Published in | 体育学研究 Vol. 64; no. 2; pp. 675 - 686 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
日本体育学会
01.12.2019
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Summary: | 「I はじめに」 「1. 背景と目的」 「地震大国」とも称される日本は, これまで幾度となく災害に見舞われてきた. 中でも1923(大正12)年9月1日に発生したM7.9の関東大震災は, 大規模な揺れと火災によって首都圏に甚大な被害をもたらし, 有史以来の大災害として語り継がれている. そして, 帝都復興院総裁, 後藤新平の大構想に始まった6年半にわたる「帝都復興事業」は, 被災した東京・横浜を近代的な都市として再興させた歴史的事業として評価されている. さて, 社会を混乱に陥れたこの震災に際し, 当時の体育界の中心にいた人々は何を考え, どのような行動を起こしたのか. この点について, 真田(2014)は嘉納治五郎と大日本体育協会の動向に着目し, 震災から約1ヶ月後の9月30日に開かれた同協会の理事会, 常務委員会で決議された内容を明らかにしている. そこでは, 翌年のオリンピック競技大会(パリ大会)に向けた全日本選手権競技会を11月に開催すること, 機関誌『アスレチックス』を一時休刊とすること, 被災した事務所を岸清一邸に移転することなどの協会自体の対応策とともに, 次の方針が決定されていた. |
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ISSN: | 0484-6710 |