モンゴル人の中国文化大革命と不名誉な「名誉回復」
1966年から76年まで続いた中国文化大革命期間中に、内モンゴル自治区でモンゴル人を対象とした大量虐殺運動が発生し死傷者の総数は40万人に達する。モンゴル人が分離独立を求めたのが原因。虐殺後、共産党政府は運動の「是正」を行い「名誉回復」を図り、善後政策を実施。民族問題の本質を隠蔽した為、一時的に対立は抑え込まれたものの、本質的な解決には至らなかった。...
Saved in:
Published in | Abstracts of the Annual Meeting of the Japanese Society of Cultural Anthropology Vol. 2017; p. H04 |
---|---|
Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
THE JAPANESE SOCIETY OF CULTURAL ANTHROPOLOGY
2017
日本文化人類学会 |
Online Access | Get full text |
Cover
Loading…
Summary: | 1966年から76年まで続いた中国文化大革命期間中に、内モンゴル自治区でモンゴル人を対象とした大量虐殺運動が発生し死傷者の総数は40万人に達する。モンゴル人が分離独立を求めたのが原因。虐殺後、共産党政府は運動の「是正」を行い「名誉回復」を図り、善後政策を実施。民族問題の本質を隠蔽した為、一時的に対立は抑え込まれたものの、本質的な解決には至らなかった。 |
---|---|
ISSN: | 2189-7964 |
DOI: | 10.14890/jasca.2017.0_h04 |