日本医科大学武蔵小杉病院における震災支援活動報告―何ができたか,何ができるはずか

「はじめに」3月11日の東日本大震災のその日, 川崎市中原区でも, 経験したことのない激しく長い揺れの中, 職員は, 自家発電により当面の病院機能に支障がなく, ICUなどの重症患者の方々に異変がないことを確認し, まずは安堵した. スタッフの多くは帰宅難民となり, ある者は徒歩で帰宅したものの自宅の高層マンションのエレベータが停止し路頭に迷うなど, 地震の影響が尋常でないことは認識していたが, 震災の拠点での被害の大きさは知る由もなかった. 翌日, 地震に伴う巨大津波などによる東北地域の計り知れない規模の被害が明らかとなるにつれ, 被災を免れた地域の使命としてどのように支援活動を行うか, 模...

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Published in日本医科大学医学会雑誌 Vol. 7; no. Suppl.1; pp. S53 - S56
Main Authors 畝本, 恭子, 黒川, 顯, 望月, 徹, 上笹, 宙, 牧, 真彦, 稲垣, 栄次, 菊池, 広子, 目原, 久美, 遠藤, 広史, 横田, 裕行
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本医科大学医学会 2011
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Summary:「はじめに」3月11日の東日本大震災のその日, 川崎市中原区でも, 経験したことのない激しく長い揺れの中, 職員は, 自家発電により当面の病院機能に支障がなく, ICUなどの重症患者の方々に異変がないことを確認し, まずは安堵した. スタッフの多くは帰宅難民となり, ある者は徒歩で帰宅したものの自宅の高層マンションのエレベータが停止し路頭に迷うなど, 地震の影響が尋常でないことは認識していたが, 震災の拠点での被害の大きさは知る由もなかった. 翌日, 地震に伴う巨大津波などによる東北地域の計り知れない規模の被害が明らかとなるにつれ, 被災を免れた地域の使命としてどのように支援活動を行うか, 模索しつつ行動を開始した. 武蔵小杉病院, 特に中心となるべき救命救急センターにおける支援活動の課題のひとつは, 少ないスタッフで, 三次救急とICU機能を維持しなければならない状況での人員の手配であった. 何ができ, 何が不足であったのか, 報告と今後の展望について述べたい.
ISSN:1349-8975
1880-2877
DOI:10.1272/manms.7.S53