外傷診療の標準化がもたらしたものは何か:新たなる挑戦へ

我が国の外傷診療の黎明期は1970年代にまでさかのぼる. いわゆる『交通戦争』の時代であり, 交通事故死が日露戦争の死者数(1万7,282人)を超え, 大きな社会問題となった時代である. これに対し, 救急医療の適正化を指すべく日本救急医学会が創立され, 医療面からの社会的啓発が促進された. さらに1963年(昭和38年)には消防法が改正され全国規模で市町村単位の救急搬送業務が開始された. また1977年(昭和52年)には, いわゆる初期・二次・三次救急の枠組が構成され, 救急患者に対する重症度に応じた適切な搬送体制の整備が始められた. ちなみに日本医科大学に救命救急センターが設立されたのもこ...

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Published in日本医科大学医学会雑誌 Vol. 14; no. 2; pp. 90 - 91
Main Authors 横堀, 將司, 横田, 裕行
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本医科大学医学会 15.04.2018
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Summary:我が国の外傷診療の黎明期は1970年代にまでさかのぼる. いわゆる『交通戦争』の時代であり, 交通事故死が日露戦争の死者数(1万7,282人)を超え, 大きな社会問題となった時代である. これに対し, 救急医療の適正化を指すべく日本救急医学会が創立され, 医療面からの社会的啓発が促進された. さらに1963年(昭和38年)には消防法が改正され全国規模で市町村単位の救急搬送業務が開始された. また1977年(昭和52年)には, いわゆる初期・二次・三次救急の枠組が構成され, 救急患者に対する重症度に応じた適切な搬送体制の整備が始められた. ちなみに日本医科大学に救命救急センターが設立されたのもこのころ(1977年)である. その後交通行政における啓発活動も相まって外傷患者の死亡数は減少した. しかし, 平成の時代に入り外傷診療での新たな問題が認識された. いわゆる『防ぎ得た外傷死』(Preventable Trauma Death: 以下PTD)の存在である.
ISSN:1349-8975
1880-2877
DOI:10.1272/manms.14.90