PTの立場から
1. 訓練士から理学療法士への道 我が国に理学療法士および作業療法士法が制定されて, 理学療法士が誕生したのは昭和40年のことである. こうした新たな医療関係者の資格制度の創設は, 医療技術の飛躍的な変革期あるいは発展期と, 国民の新たな需要意識の高まりを背景としてなされる. 昭和30年代後半は日本の戦後が終わったと云われるほどに, 経済復興が成し遂げられた. 日本国民の栄養状態, 衛生状態はすっかり良好になった頃で, 加えて健康保険の国民総加入制確立による医療機関の急増と充実が見られ, 結核等の感染症は激減し我が国の疾病構造は大きく変化した. この頃, 日本全国には62ヶ所の肢体不自由児施設...
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Published in | 理学療法学 Vol. 18; no. 3; pp. 339 - 342 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
日本理学療法士学会
10.05.1991
日本理学療法士協会 Japanese Society of Physical Therapy |
Subjects | |
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ISSN | 0289-3770 2189-602X |
DOI | 10.15063/rigaku.KJ00001306301 |
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Summary: | 1. 訓練士から理学療法士への道 我が国に理学療法士および作業療法士法が制定されて, 理学療法士が誕生したのは昭和40年のことである. こうした新たな医療関係者の資格制度の創設は, 医療技術の飛躍的な変革期あるいは発展期と, 国民の新たな需要意識の高まりを背景としてなされる. 昭和30年代後半は日本の戦後が終わったと云われるほどに, 経済復興が成し遂げられた. 日本国民の栄養状態, 衛生状態はすっかり良好になった頃で, 加えて健康保険の国民総加入制確立による医療機関の急増と充実が見られ, 結核等の感染症は激減し我が国の疾病構造は大きく変化した. この頃, 日本全国には62ヶ所の肢体不自由児施設が設置されていた. およそ10年前の昭和29年には11ヶ所にしかすぎなかったことに比較すれば肢体不自由児療育界も急速に進歩を遂げている. 我が国特有の小児リハビリテーション拠点である肢体不自由児施設は, 高木憲次東大名誉教授による肢体不自由という用語の定義と, 彼らに対する療育実践の提唱に基づくものである. |
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ISSN: | 0289-3770 2189-602X |
DOI: | 10.15063/rigaku.KJ00001306301 |