学校体育における教育学的ケアリングの地平
本研究ではポストモダン社会での学校体育における教育学的ケアリングの地平を明らかにすることを目的としている。 近年,ケアを希求する子どもが増加の一途であるが,現在進行している学校改革はディシプリン準拠型のカリキュラムであり,むしろケアの視点を削いでいる。それは,産業社会時代の 「発達としての教育」 の再燃だといえるが,ポストモダン社会では 「生成としての教育」 を実践する学校が求められているのである。 ケアの先駆者であるノディングズとメイヤロフのケア/ケアリングを再検討した結果,多様な他者と 「差異中の同一性」 によるかかわりあいが希求されており,その関係こそが教育学的ケアリングであることが明ら...
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Published in | Nihon Joshi Taiiku Remmei gakujutsu kenkyuu Vol. 31; pp. 1 - 17 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
Tokyo
公益社団法人 日本女子体育連盟
2015
Japan Association of Physical Education for Women Japan Science and Technology Agency |
Subjects | |
Online Access | Get full text |
ISSN | 1882-0980 2185-3401 |
DOI | 10.11206/japew.31.1 |
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Summary: | 本研究ではポストモダン社会での学校体育における教育学的ケアリングの地平を明らかにすることを目的としている。 近年,ケアを希求する子どもが増加の一途であるが,現在進行している学校改革はディシプリン準拠型のカリキュラムであり,むしろケアの視点を削いでいる。それは,産業社会時代の 「発達としての教育」 の再燃だといえるが,ポストモダン社会では 「生成としての教育」 を実践する学校が求められているのである。 ケアの先駆者であるノディングズとメイヤロフのケア/ケアリングを再検討した結果,多様な他者と 「差異中の同一性」 によるかかわりあいが希求されており,その関係こそが教育学的ケアリングであることが明らかとなった。それらの考察をもとに,ポストモダン社会における体育については次のような考察がなされた。 「いま-ここ」 に生成されるスポーツ/運動世界に没頭し,意味生成を誘発する授業デザインが必要となる。 そのような 「生成としての教育」 に依拠する学校体育と教育学的ケアリングは関連が高いと考えられる。 すべての子どもがスポーツ/運動世界に没頭できるようにするためには,モノ自体にケアのメッセージを込めることが肝要である。加えて,他者である教師やクラスメイトによる心を砕いた専心的なケアをすることが重要となる。また,他者の 「憧れに憧れること」 もまたケアリングにおいて重要である。学校体育における教育学的ケアリングの地平は,自己と他者とスポーツ/運動世界との三位一体のやわらかな関係構築のプロセスそのものである。 |
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Bibliography: | ObjectType-Article-1 SourceType-Scholarly Journals-1 ObjectType-Feature-2 content type line 14 |
ISSN: | 1882-0980 2185-3401 |
DOI: | 10.11206/japew.31.1 |