アメリカ社会に内在する他者-ドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』に描かれるボブ・ディラン像の一解釈
1960年代以来、フォーク・ロック歌手ボブ・ディランは同時代のアメリカ社会を鋭い感受性と批評精神で捉え、その独創的な詩と音楽の世界によって大衆を魅了し続けてきた。本論では、ディランの半生を描いたマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』という文化的テクストを読み解くことで、現代アメリカ人たちにとってディランが持つ象徴的意味について考察する。はじめに、ボプ・ディランと『ノー・ディレクション・ホーム』を本考察の対象に選んだ理由を述べる。続いて、この映画に描かれるディラン像を簡単に吟味する。最後に、アメリカ社会に内在する他者としてのディランは、彼の生きる社会を内...
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Published in | Current English Studies Vol. 2007; no. 46; pp. 49 - 62 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
一般社団法人 日本メディア英語学会
2007
Japan Association for Media English Studies |
Subjects | |
Online Access | Get full text |
ISSN | 2186-1420 2187-0039 |
DOI | 10.11293/jaces1962.2007.46_49 |
Cover
Summary: | 1960年代以来、フォーク・ロック歌手ボブ・ディランは同時代のアメリカ社会を鋭い感受性と批評精神で捉え、その独創的な詩と音楽の世界によって大衆を魅了し続けてきた。本論では、ディランの半生を描いたマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』という文化的テクストを読み解くことで、現代アメリカ人たちにとってディランが持つ象徴的意味について考察する。はじめに、ボプ・ディランと『ノー・ディレクション・ホーム』を本考察の対象に選んだ理由を述べる。続いて、この映画に描かれるディラン像を簡単に吟味する。最後に、アメリカ社会に内在する他者としてのディランは、彼の生きる社会を内側から批評し、同時代のアメリカ人たちに自分を見っめなおす契機を与えてきたのではないかという一つの解釈を導き出す。 |
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ISSN: | 2186-1420 2187-0039 |
DOI: | 10.11293/jaces1962.2007.46_49 |