「最終講義」から 一回生としての46年の歩みを顧みて

秋田大学医学部は, 戦後新設された国立大学医学部一番乗りとよく言われていたが, 事実は, 少し異なる. 実は, 昭和20年に秋田を含む全国の色々な地方に設立された女子医学専門学校に端を発している. 秋田女子医専は設立2年目にして校舎が全焼し, そのまま廃校となってしまった. そのため学生達は, 医師の道を諦めて結婚したり他大学医学部に移籍して女医になった人もいた. この時の秋田女子医専に学び, 後に医師になって現在も秋田市内で臨床の第一線に立ち活躍しておられる女医さんがいるのは, 驚くべき事実である. 医師養成機関を失って後, 秋田県の医療は低迷を極め, 以来県を挙げて医学部設置を国に要請して...

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Published in日本耳鼻咽喉科学会会報 Vol. 119; no. 11; pp. 1419 - 1421
Main Author 石川, 和夫
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 日本耳鼻咽喉科学会 20.11.2016
日本耳鼻咽喉科学会
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Summary:秋田大学医学部は, 戦後新設された国立大学医学部一番乗りとよく言われていたが, 事実は, 少し異なる. 実は, 昭和20年に秋田を含む全国の色々な地方に設立された女子医学専門学校に端を発している. 秋田女子医専は設立2年目にして校舎が全焼し, そのまま廃校となってしまった. そのため学生達は, 医師の道を諦めて結婚したり他大学医学部に移籍して女医になった人もいた. この時の秋田女子医専に学び, 後に医師になって現在も秋田市内で臨床の第一線に立ち活躍しておられる女医さんがいるのは, 驚くべき事実である. 医師養成機関を失って後, 秋田県の医療は低迷を極め, 以来県を挙げて医学部設置を国に要請してきた. そして, 昭和45年(1970年)5月に県民の悲願が実って秋田大学に医学部が創設されることになり, 奇しくも, 一期生として私は入学を許可された. しかし, 入学してみれば医学部らしい設備は皆無で, 教育学部や鉱山学部の教室を借用して, 細々と6年一貫教育の旗印のもとで医学部関連科目の一部を含めて講義がなされていた.
ISSN:0030-6622
1883-0854
DOI:10.3950/jibiinkoka.119.1419