明治初期の岩倉使節団に見るパリの都市公園の捉え方

1871年 (明治4年) に明治新政府は岩倉使節団を欧米諸国に派遣した。その目的の一つに各国の近代的諸制度や文物の調査があり, 帰国後に久米邦武により「米欧回覧実記」としてまとめられる。本研究の目的は明治初期に西洋諸国について記した代表的な書物であるこの著作において整備直後のパリの公園がどのように把握されていたのかを探ることにある。分析の結果, 公園は街路樹のある道や広場と一体となった姿で全体を把握された上で高く評価されていること, そして社会政策上の遂行目的とされていることが, 公園を社交の場であり美しい場所としたパリ以前に訪れた都市の公園の説明と異なり, パリの公園の特徴とされていることが...

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Published inランドスケープ研究 Vol. 58; no. 5; pp. 49 - 52
Main Author 佐々木, 邦博
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 公益社団法人 日本造園学会 31.03.1995
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ISSN1340-8984
1348-4559
DOI10.5632/jila.58.5_49

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Summary:1871年 (明治4年) に明治新政府は岩倉使節団を欧米諸国に派遣した。その目的の一つに各国の近代的諸制度や文物の調査があり, 帰国後に久米邦武により「米欧回覧実記」としてまとめられる。本研究の目的は明治初期に西洋諸国について記した代表的な書物であるこの著作において整備直後のパリの公園がどのように把握されていたのかを探ることにある。分析の結果, 公園は街路樹のある道や広場と一体となった姿で全体を把握された上で高く評価されていること, そして社会政策上の遂行目的とされていることが, 公園を社交の場であり美しい場所としたパリ以前に訪れた都市の公園の説明と異なり, パリの公園の特徴とされていることが判明した。
ISSN:1340-8984
1348-4559
DOI:10.5632/jila.58.5_49