ナイチンゲール精神に則した青森県立青森高等看護学院の誕生経緯と教育

本研究の目的は、1952年、青森県立青森高等看護学院がナイチンゲール方式による看護教育施設として誕生した経緯と教育内容を明らかにすることである。学院閉院時及び青森県庁舎移転に伴い処分対象となり筆者に届けられた学院創設に関する文書・資料、公刊あるいは発表された著書および学院創設に関する文献を分析考察した。戦後、花田ミキ(1914~2006)は、GHQのオルト大尉を通してナイチンゲール方式による看護教育を知った。日本看護協会青森県支部長であった花田は支部をあげて、「病院の付属ではなく、実習病院から金銭的な恵与は一切受けない、独立した看護教育施設」をめざして、陳情・請願運動をはじめた。それを願ったの...

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Published inJournal of Japan Academy of Human Care Science Vol. 16; no. 2; pp. 34 - 53
Main Authors 山本, 春江, 一戸, とも子, 大串, 靖子, 菊池, 美智子, 太田, 尚子, 木村, 紀美
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本ヒューマンケア科学学会 2023
Japan Academy of Human Care Science
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ISSN1882-6962
2436-0309
DOI10.50922/jjahcs.2022019-E

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Summary:本研究の目的は、1952年、青森県立青森高等看護学院がナイチンゲール方式による看護教育施設として誕生した経緯と教育内容を明らかにすることである。学院閉院時及び青森県庁舎移転に伴い処分対象となり筆者に届けられた学院創設に関する文書・資料、公刊あるいは発表された著書および学院創設に関する文献を分析考察した。戦後、花田ミキ(1914~2006)は、GHQのオルト大尉を通してナイチンゲール方式による看護教育を知った。日本看護協会青森県支部長であった花田は支部をあげて、「病院の付属ではなく、実習病院から金銭的な恵与は一切受けない、独立した看護教育施設」をめざして、陳情・請願運動をはじめた。それを願ったのには徒弟制度ともいえる教育や病院の人手不足を補うような実習を後輩に経験させたくないという思いがあった。また、「看護という職業が、技術、知識も低く、社会的にも低俗な職業として見られ、あまりに遅れていることは、多くの社会の人たちにとって不幸なことである」、つまり、看護教育は社会の問題であると捉えていたことにあった。花田の信念に基づく行動とそれに共感する人々の尽力によって、ナイチンゲール方式の学院誕生を成し得たことが示唆された。
ISSN:1882-6962
2436-0309
DOI:10.50922/jjahcs.2022019-E