東大物療内科における温泉研究の歴史について

1. 物療内科の沿革 大正5年2月 青山内科附属物理的療法研究所開設(主任真鍋嘉一郎講師) 大正7年6月 独立研究所となる 大正15年7月 内科物理療法学講座開設(主任真鍋教授)昭和13年12月 三沢敬義教授主任となる 昭和30年4月 大島良雄教授主任となる 以上の沿革を経て今日に至っているが, 真鍋教授が常に主張されていた「内科を経とし物理療法を緯とする」という理念の下に一貫した診療研究教育が行なわれてきた. 当教室における温泉研究の歴史は真鍋三沢大島の3教授の時代別に述べることとする. 2. 真鍋教授と温泉気候医学 故酒井谷平先生が昭和17年2月に温泉気候学会雑誌に述べられた真鍋先生追悼の...

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Published in日本温泉気候物理医学会雑誌 Vol. 29; no. 1-2; pp. 33 - 37
Main Author 日野, 和徳
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 日本温泉気候物理医学会 1965
日本温泉気候物理医学会
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ISSN0029-0343
1884-3697
DOI10.11390/onki1962.29.33

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Summary:1. 物療内科の沿革 大正5年2月 青山内科附属物理的療法研究所開設(主任真鍋嘉一郎講師) 大正7年6月 独立研究所となる 大正15年7月 内科物理療法学講座開設(主任真鍋教授)昭和13年12月 三沢敬義教授主任となる 昭和30年4月 大島良雄教授主任となる 以上の沿革を経て今日に至っているが, 真鍋教授が常に主張されていた「内科を経とし物理療法を緯とする」という理念の下に一貫した診療研究教育が行なわれてきた. 当教室における温泉研究の歴史は真鍋三沢大島の3教授の時代別に述べることとする. 2. 真鍋教授と温泉気候医学 故酒井谷平先生が昭和17年2月に温泉気候学会雑誌に述べられた真鍋先生追悼の辞によると, 真鍋教授が況泉に関心を持たれるに至ったのはベルツ先生に負うところが少くなかった由で, 真鍋先生は大学卒業後間もない頃から各地の温泉についてラヂウムヱマナチオンを測定されたようである. この時代の先生の研究は恐らくわが教室の温泉研究の出発点とも申すべく, その歴史的文軋は東京医学会雑誌24巻6号(明治42年)に掲載された石谷伝市郎理学士と共著の『ラヂオアクチビテート(輻射能作)ト其医療上応用及ビ二三ノ「プレパラート」ニ就キテ』という論文である.
ISSN:0029-0343
1884-3697
DOI:10.11390/onki1962.29.33