真言密教における観法について : 特に『大日経疏』を中心として

本稿は、真言密教における観法の理念をさぐることを目的とするもので、それを『大日経疏』を中心に考察することである。そしてその論点は、いかに行者が菩提を証したことを自覚し得るかという問題を契機とし、それを、まず、竜樹の『中頌』において眺め、次に、『大日経』の阿字の法門に赴き、そこにおいて、阿字による阿字自身の真であることの証明ということ、つまり、『中頌』における遮情のあいまいさを越えて、真に、如来と衆生とを一致せしめる観法を提示するのである。そしてそれは、本有の菩提心の行為する姿を表現したもの、また、本有菩提心の行為そのものであるということである。...

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Published in智山学報 Vol. 38; pp. 79 - 91
Main Author 小林, 靖典
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 智山勧学会 1989
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ISSN0286-5661
2424-130X
DOI10.18963/chisangakuho.38.0_79

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Summary:本稿は、真言密教における観法の理念をさぐることを目的とするもので、それを『大日経疏』を中心に考察することである。そしてその論点は、いかに行者が菩提を証したことを自覚し得るかという問題を契機とし、それを、まず、竜樹の『中頌』において眺め、次に、『大日経』の阿字の法門に赴き、そこにおいて、阿字による阿字自身の真であることの証明ということ、つまり、『中頌』における遮情のあいまいさを越えて、真に、如来と衆生とを一致せしめる観法を提示するのである。そしてそれは、本有の菩提心の行為する姿を表現したもの、また、本有菩提心の行為そのものであるということである。
ISSN:0286-5661
2424-130X
DOI:10.18963/chisangakuho.38.0_79