中性院頼瑜における「一乗経劫について」
真言宗には、新義古義を問うことなく「一乗経劫(1)」なる算題があり、その内容は、一乗教、すなわち天台と華厳は三祇遠劫を経て成仏(経劫)するのか、それとも頓証成仏(不経劫)なのかを論ずるものである。『密教大辞典』の「イチジョウキョウゴウ 一乗経劫」の項目には、「新古を通じて学者多くは経劫論者なれども、まゝ不経劫を唱ふる者無きに非ず」と述べて、学匠の立論において相違があったことが知られ、〈経劫論者〉〈不経劫論者〉〈調和説〉のそれぞれに立つ代表的な学匠を挙げている。その中で中性院頼瑜(1226~1304)だけが、初期では経劫説に立ち、晩年では不経劫説に立つとして、その生涯において経劫説から不経劫説へ...
Saved in:
Published in | 智山学報 Vol. 65; pp. 275 - 294 |
---|---|
Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
智山勧学会
2016
|
Subjects | |
Online Access | Get full text |
ISSN | 0286-5661 2424-130X |
DOI | 10.18963/chisangakuho.65.0_275 |
Cover
Loading…
Summary: | 真言宗には、新義古義を問うことなく「一乗経劫(1)」なる算題があり、その内容は、一乗教、すなわち天台と華厳は三祇遠劫を経て成仏(経劫)するのか、それとも頓証成仏(不経劫)なのかを論ずるものである。『密教大辞典』の「イチジョウキョウゴウ 一乗経劫」の項目には、「新古を通じて学者多くは経劫論者なれども、まゝ不経劫を唱ふる者無きに非ず」と述べて、学匠の立論において相違があったことが知られ、〈経劫論者〉〈不経劫論者〉〈調和説〉のそれぞれに立つ代表的な学匠を挙げている。その中で中性院頼瑜(1226~1304)だけが、初期では経劫説に立ち、晩年では不経劫説に立つとして、その生涯において経劫説から不経劫説へと変遷したことが記述されている(2)。しかし、本当にそのような変遷があったのか、筆者は疑問に思うところである。何故なら、頼瑜は自身の著作を完成させるまでに、最初の稿が成ってから、時を経て改めて再治や加点を施すのであり、その段階で、自身における一乗の経劫と不経劫との齟齬が生じているのであれば、どちらか一方に統一したはずであるから。 そこで本稿では、本当に頼瑜において経劫説から不経劫説への変遷があったのかを今一度確認すること、そして、もし変遷がなかったのであれば、頼瑜は経劫と不経劫とのどちらの立場であったのかを、明らかにすることを目的とするものである。 |
---|---|
ISSN: | 0286-5661 2424-130X |
DOI: | 10.18963/chisangakuho.65.0_275 |