遊びの不透明性--倉橋惣三における「うっかり」概念の検討

本稿は、倉橋惣三の「うっかり」概念を遊び論の知見を通して検討し、解明することを目的とする。本稿で参照するのは矢野智司の遊び論である。従来の遊び論が子どもの発達に対する遊びの役割に関心を寄せる傾向があるのに対し、矢野は、遊んでいる子どもたちの行為のプロセスやダイナミズムに注目する。矢野の考察から読み取れるのは、遊びとは極めて不透明な営みであり、しかしその不透明性が遊びにダイナミズムを生じさせ、子どもに強い印象を与えることが可能になる、ということである。保育者の「うっかり」は、遊びに偶発的で不透明な要素を自ら注入する。保育者の「うっかり」が「教育的に大切なはたらき」をているとする倉橋の「うっかり」...

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Published in高知学園短期大学紀要 Vol. 41; pp. 47 - 54
Main Author 杉原, 徹
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 学校法人高知学園 高知学園短期大学 10.03.2011
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Summary:本稿は、倉橋惣三の「うっかり」概念を遊び論の知見を通して検討し、解明することを目的とする。本稿で参照するのは矢野智司の遊び論である。従来の遊び論が子どもの発達に対する遊びの役割に関心を寄せる傾向があるのに対し、矢野は、遊んでいる子どもたちの行為のプロセスやダイナミズムに注目する。矢野の考察から読み取れるのは、遊びとは極めて不透明な営みであり、しかしその不透明性が遊びにダイナミズムを生じさせ、子どもに強い印象を与えることが可能になる、ということである。保育者の「うっかり」は、遊びに偶発的で不透明な要素を自ら注入する。保育者の「うっかり」が「教育的に大切なはたらき」をているとする倉橋の「うっかり」概念は、遊びの不透明性の観点から読み解くことができる。
ISSN:0389-4088
2433-6440
DOI:10.24649/kgc.41.0_47