東日本大震災時の小児医療

【緒言】当院の経験と茨城県内の病院小児科の状況を中心に、大震災発生からの2.5ヶ月間を振り返り、大震災時の小児医療について考察する。 【発生後1週間まで】震災発生直後、建物崩壊を怖れ、多くの病院が入院患者をホールあるいは駐車場へ避難誘導し、2時間ほどで院内へ戻した。茨城県内の小児が入院する病院25のうち2つで一部の病棟が使用不能となった。小児が入院する病院は沿岸にはなく、津波の影響は少なかった。建造物点検、電気・重油・水の不足、交通遮断による物流麻痺、余震による危険回避のため、多くの病院で予定手術・予定入院・一部の予定外来を1週間中止した。在宅人工呼吸児の全員が緊急入院した。救急告示病院の被災...

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Published inNihon Nouson Igakukai Gakujyutu Soukai Syourokusyu Vol. 60; p. 115
Main Authors 黒澤, 信行, 渡辺, 章充, 渡部, 誠一
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 日本農村医学会 2011
THE JAPANESE ASSOCIATION OF RURAL MEDICINE
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ISSN1880-1749
1880-1730
DOI10.14879/nnigss.60.0.115.0

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Summary:【緒言】当院の経験と茨城県内の病院小児科の状況を中心に、大震災発生からの2.5ヶ月間を振り返り、大震災時の小児医療について考察する。 【発生後1週間まで】震災発生直後、建物崩壊を怖れ、多くの病院が入院患者をホールあるいは駐車場へ避難誘導し、2時間ほどで院内へ戻した。茨城県内の小児が入院する病院25のうち2つで一部の病棟が使用不能となった。小児が入院する病院は沿岸にはなく、津波の影響は少なかった。建造物点検、電気・重油・水の不足、交通遮断による物流麻痺、余震による危険回避のため、多くの病院で予定手術・予定入院・一部の予定外来を1週間中止した。在宅人工呼吸児の全員が緊急入院した。救急告示病院の被災情報を県が毎日集計報告したが、小児医療の情報は少なく、小児科医会MLで情報を収集した。 【1週間~1カ月】1~2週間で鉄道・道路が復旧した。断水・ガソリン不足で、ウイルス性腸炎の流行、および来院の遅れ(脱水進行)があった。繰り返し放映される津波映像の子どもの心への影響を懸念し、小児科学会を通じて抗議した。診療所機能は、設備をあまり要さず、停電・水不足でも中断せず行い得た。4月の勤務医の異動時期に当たり、病院は診療・教育の負担が増した。 【1カ月以降現在まで】乳幼児健診・予防接種・学校検診・子どもの心のケアなどの小児保健事業が再開された。茨城県では、県北部および磐城共立病院(日本小児科学会・小児救急医学会から派遣)の支援を始めた。避難所支援も行なった。福島県に隣接するため、被ばく問題も大きい。2カ月後の5月15日に県小児科医会総会で県内の情報共有を行った。 【考察】病院小児科機能の復旧には、交通・物流の回復、情報網の改善、電気・重油・水の安定供給、人事異動の延期、などが必要と考える。救急告示病院の被災情報は、今後は、小児科、産科、精神科など分野別の情報収集も必要と思われる。
Bibliography:1D-12
ISSN:1880-1749
1880-1730
DOI:10.14879/nnigss.60.0.115.0