草津温泉とハンセン病 日本人による救済の進展

「はじめに」その昔, 草津温泉の湯川の下流には, 湯之沢部落と呼ばれるハンセン病患者の部落が存在した. 湯之沢部落は1887年に開村し, 1941年に閉村となったが, その最盛期の1931年には患者および家族, 湯治客を含んで1000人を超える人々が暮らす日本史上最大のハンセン病患者部落であった. 彼らは草津温泉がハンセン病に特効であることを信じ, 全国から集まった者達であった. その湯治は短い者で数ヶ月, 長い者は数年の期間を要し, その中には故郷を捨て, 追われて, 湯之沢部落に永住する者も多かった. その大半は有資産家で, 家族と共に移り住んだ者, ここで結婚する者もあった. 彼らはハン...

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Published in日本ハンセン病学会雑誌 Vol. 85; no. 2; pp. 79 - 86
Main Author 森, 修一
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本ハンセン病学会 2016
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ISSN1342-3681
1884-314X
DOI10.5025/hansen.85.79

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Summary:「はじめに」その昔, 草津温泉の湯川の下流には, 湯之沢部落と呼ばれるハンセン病患者の部落が存在した. 湯之沢部落は1887年に開村し, 1941年に閉村となったが, その最盛期の1931年には患者および家族, 湯治客を含んで1000人を超える人々が暮らす日本史上最大のハンセン病患者部落であった. 彼らは草津温泉がハンセン病に特効であることを信じ, 全国から集まった者達であった. その湯治は短い者で数ヶ月, 長い者は数年の期間を要し, その中には故郷を捨て, 追われて, 湯之沢部落に永住する者も多かった. その大半は有資産家で, 家族と共に移り住んだ者, ここで結婚する者もあった. 彼らはハンセン病湯治客を対象とした宿屋業を経済基盤として自立し, 多くの試行錯誤の中から民主的な自治システムを確立, ハンセン病患者の自由療養地として, 患者救済を行うキリスト教徒と共に, その強い連帯の中で助け合い, 国家政策と対抗するなどして, 実に54年の長きにわたり, 部落を存続させた.
ISSN:1342-3681
1884-314X
DOI:10.5025/hansen.85.79