木下惠介の映画における恋する男と音楽――『お嬢さん乾杯』(1949)と『遠い雲』(1955)を中心に
「日本映画界きっての抒情監督」と評される木下惠介の映画音楽は、メロドラマにおける巧みな音楽の使用と、それがもたらす絶大な効果に焦点が当てられる傾向があった。ところが『お嬢さん乾杯』(1949年)と『遠い雲』(1955年)には、いくつかのシーンにおいて複数の音楽が重なって不協和音を生み出す瞬間がある。さらに注目すべきは、両作品とも「石津圭三」という名の男性が主人公として登場するだけでなく、前者のラストで東京から故郷へ旅立った圭三が、後者の冒頭で故郷に帰ってくるという一種の連続性が見出せることだ。そこで本稿は、2作品をインターテクスト的に分析することで、両作品を貫通するモチーフに映画音楽を接続させ...
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Published in | 映像学 Vol. 111; pp. 218 - 237 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
日本映像学会
25.02.2024
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Subjects | |
Online Access | Get full text |
ISSN | 0286-0279 2189-6542 |
DOI | 10.18917/eizogaku.111.0_218 |
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Summary: | 「日本映画界きっての抒情監督」と評される木下惠介の映画音楽は、メロドラマにおける巧みな音楽の使用と、それがもたらす絶大な効果に焦点が当てられる傾向があった。ところが『お嬢さん乾杯』(1949年)と『遠い雲』(1955年)には、いくつかのシーンにおいて複数の音楽が重なって不協和音を生み出す瞬間がある。さらに注目すべきは、両作品とも「石津圭三」という名の男性が主人公として登場するだけでなく、前者のラストで東京から故郷へ旅立った圭三が、後者の冒頭で故郷に帰ってくるという一種の連続性が見出せることだ。そこで本稿は、2作品をインターテクスト的に分析することで、両作品を貫通するモチーフに映画音楽を接続させることを目標とする。そのためにまず、2作品から「実らない恋をする男」という共通のモチーフを見出し、そのうえで複数の音楽が重なるという過剰性に着目してテクスト分析を行う。これらの作品において音楽は、ヒロインの欲望が物語の進行役となる映画のなかで、物語の直線的進行に逆らおうとする圭三の衝動を画面に刻印し(『お嬢さん乾杯』)、失われた善き過去へ回帰しようとする圭三の欲望を前景化する(『遠い雲』)。以上の分析により、女性の欲望に照準をあわせたロマンチック・コメディとメロドラマの形をとる2作品において、映画音楽が男性の欲望に結びつけられ、物語叙述が行う表面的な意味づけに吸収されない痕跡を残すことを明らかにする。 |
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ISSN: | 0286-0279 2189-6542 |
DOI: | 10.18917/eizogaku.111.0_218 |