野入直美著『沖縄のアメラジアン――移動と「ダブル」の社会学的研究』(ミネルヴァ書房、2022年)
本書は、NPO法人アメラジアンスクール・イン・オキナワ(American Asian School in Okinawa, 以降AASO)が1998年に設立されてから現在に至るまでの約20年の軌跡とその意義を、AASO設立当初からスクールづくりに深くかかわってきた著者ならではの視点・体験を織り交ぜながら描いた「アクション・リサーチ」の成果である。AASOは、アメラジアン―現役・退役の米軍関係者であるアメリカ人の父とアジア人女性との間に生まれた子―を育てる沖縄女性ら5名が、我が子に日米二つのルーツを持つ「ダブル」としての誇りを育んで欲しいと願って立ち上げた、日本で唯一の「ダブルの子ども」のための...
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Published in | 日本オーラル・ヒストリー研究 Vol. 19; pp. 196 - 199 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
日本オーラル・ヒストリー学会
31.10.2023
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Online Access | Get full text |
ISSN | 1882-3033 2433-3026 |
DOI | 10.24530/jjoha.19.0_196 |
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Summary: | 本書は、NPO法人アメラジアンスクール・イン・オキナワ(American Asian School in Okinawa, 以降AASO)が1998年に設立されてから現在に至るまでの約20年の軌跡とその意義を、AASO設立当初からスクールづくりに深くかかわってきた著者ならではの視点・体験を織り交ぜながら描いた「アクション・リサーチ」の成果である。AASOは、アメラジアン―現役・退役の米軍関係者であるアメリカ人の父とアジア人女性との間に生まれた子―を育てる沖縄女性ら5名が、我が子に日米二つのルーツを持つ「ダブル」としての誇りを育んで欲しいと願って立ち上げた、日本で唯一の「ダブルの子ども」のための学び舎である。 本書は、著者自身が支援者、理事、理事代表代行、理事長と役割を変えつつASSOの運営を担いながら書かれた実践的な本だが、<アメラジアン>を抽象的なカテゴリーと現実のせめぎ合いから生みだされる普遍的な社会現象と捉え、世界を解読する分析フレームにまで磨きあげた点で理論的でもあり、さらにはさまざまな声が響き合う証言記録としての側面も持つ極めて多面的な作品である。とりわけ私が惹きつけられたのは、著者自身が、AASOにかかわる母親、AASOを足場に自らの人生を生き抜くアメラジアンの子ども、教師、ボランティアとしてかかわった延べ200名もの大学生との出会いを通して、「徹底的にアメラジアンの側に立つ」と覚悟を決めていく瞬間が丹念に省察され、その覚悟が本書の視角・方法・分析・結論にいき渡っていると感じられた点である。 本書の以下の構成にもその覚悟は読み取れる。著者はまず、ASSOに集う子どもとの印象的な出会いの場面を説き起こした「はじめに」で、アメラジアンを「かわいくてかわいそう」なマイノリティとみる支援者(読者)のまなざしに媚びず、時に小気味よく迎撃しさえする子どもたちに祝福の言葉を贈る。「本書の言葉は非アメラジアンにのみ発しているのではない、アメラジアンとして生きる人びとへも向けている」といういわば宣言だ。続く序章では、「アメラジアン」という用語が誕生した背景や国際状況が整理されるが、これ以降の第Ⅰ部・Ⅱ部の内容は、アメラジアンの子どもと周囲の大人たちが共に成長・変容し、社会へと巣立っていく過程に伴走するような章立てがなされている。学術書の定式にならえば、アメラジアンという用語/名のりが沖縄・日本で普及する以前に彼・彼女らを指した「混血児」という用語の変遷を検証した第Ⅲ部をアメラジアン前史として配置するのが「穏当」であるかもしれない。だが、そうした「解説」にあたる部分を後ろに回し、彼・彼女らの現在の生きざまを伝える箇所を敢えて前面に打ち出した点に、著者の覚悟を感じるのである。以降では序章からⅡ部までの内容を中心に紹介し、論点を提示したい。 |
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ISSN: | 1882-3033 2433-3026 |
DOI: | 10.24530/jjoha.19.0_196 |