明治期から第二次世界大戦期(1872–1945年)までの日本の中等教育における地理教育制度の変遷―実業学校を中心として

本稿の目的は,明治期から第二次世界大戦期において地理科が実業学校でどのような位置づけにあったのかを諸法令を用いて明らかにし,同時期に行われていた公民科や歴史科と比較することで,地理教育そのものの性格を明らかにしようとするものである。実業学校では,同じ中等教育に属する中学校・高等女学校と異なり,主に職業上必要とされた実業教育(職業教育)のための学科目である農業・工業・商業が重視され,地理科は必修学科目として扱われていなかった。一方,公民科は地理科よりも約20年も早く実業学校で必修化された。公民科が必修化された理由は,普通学科目の中でも公民科の教育内容が国家体制を支える上でとりわけ重要な意味を持っ...

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Published in人文地理 Vol. 74; no. 2; pp. 111 - 132
Main Author 近藤, 裕幸
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 人文地理学会 2022
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ISSN0018-7216
1883-4086
DOI10.4200/jjhg.74.02_111

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Summary:本稿の目的は,明治期から第二次世界大戦期において地理科が実業学校でどのような位置づけにあったのかを諸法令を用いて明らかにし,同時期に行われていた公民科や歴史科と比較することで,地理教育そのものの性格を明らかにしようとするものである。実業学校では,同じ中等教育に属する中学校・高等女学校と異なり,主に職業上必要とされた実業教育(職業教育)のための学科目である農業・工業・商業が重視され,地理科は必修学科目として扱われていなかった。一方,公民科は地理科よりも約20年も早く実業学校で必修化された。公民科が必修化された理由は,普通学科目の中でも公民科の教育内容が国家体制を支える上でとりわけ重要な意味を持っていたからであった。その後,地理科は歴史科とともに1937年に実業学校において必修化される。このことから1937年という年は日本の地理教育制度史において画期となる年と言えることがわかった。また,歴史教育や公民教育と比較することで,地理教育は戦時下においても客観性を重視しようとしていたことや,歴史教育との関係が深いことも明らかにできた。
ISSN:0018-7216
1883-4086
DOI:10.4200/jjhg.74.02_111