『腹証奇覧』の版種の異同とその要因について 和久田叔虎による『腹証奇覧』の校正の可能性
腹診は日本で独自に発達した診察法であり,日本漢方を特徴づけるものの1つである。江戸時代に流布した『腹証奇覧』は,『傷寒論』と『金匱要略』の処方を中心に,腹診図と所見を述べている。本研究では,現存する『腹証奇覧』の各種版本について調査を行い,版種の違いによって腹診図や所見が異なることが明らかとなった。各種の版本については,巻初の扉と巻末の年紀の違いによって,享和年間以前の版と文化版とに分かれる。現在一般的に通行している影印本は文化版に基づいているが,両版の間には腹診図と所見に大きな改訂がある。『腹証奇覧』には正編と後編が存在し,享和年間以前の版と文化版の違いは後編に顕著である。『腹証奇覧』の著者...
Saved in:
Published in | 日本東洋医学雑誌 Vol. 75; no. 1; pp. 1 - 17 |
---|---|
Main Authors | , , , |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
一般社団法人 日本東洋医学会
2024
|
Subjects | |
Online Access | Get full text |
ISSN | 0287-4857 1882-756X |
DOI | 10.3937/kampomed.75.1 |
Cover
Summary: | 腹診は日本で独自に発達した診察法であり,日本漢方を特徴づけるものの1つである。江戸時代に流布した『腹証奇覧』は,『傷寒論』と『金匱要略』の処方を中心に,腹診図と所見を述べている。本研究では,現存する『腹証奇覧』の各種版本について調査を行い,版種の違いによって腹診図や所見が異なることが明らかとなった。各種の版本については,巻初の扉と巻末の年紀の違いによって,享和年間以前の版と文化版とに分かれる。現在一般的に通行している影印本は文化版に基づいているが,両版の間には腹診図と所見に大きな改訂がある。『腹証奇覧』には正編と後編が存在し,享和年間以前の版と文化版の違いは後編に顕著である。『腹証奇覧』の著者である稲葉文礼は,文化2(1805)年に没しているため,文礼が文化版の編纂に関わった可能性は少なく,文化版の校正に影響をおよ,ぼしたのは,文礼の弟子の和久田叔虎と推測される。 |
---|---|
ISSN: | 0287-4857 1882-756X |
DOI: | 10.3937/kampomed.75.1 |