愛の社会的可能性について 現代社会の権威主義的欲求といかに向き合うか

昨今の日本社会は不寛容な社会であると言われるが、そのような社会状況の背後には孤独や不安を抱える人間の権威主義的欲求がある。それは、確固たる支えへと埋没することによって不安を解消しようとする欲求である。その欲求は、自己反省の欠如や「わが家」をめぐる抑圧と排除の暴力として表出する。本稿では、現代社会の権威主義的欲求といかに向き合うかという問題について、E.フロムの自己愛の議論について検討する。不安を起点とする上述の連鎖は、自己愛によって絶つことができる。自己の存在に対する確かな肯定が不安を緩和する。自己愛が支えとなることで自己反省が可能になり、自己反省を通して「わが家」の絶対性は掘り崩され、抑圧と...

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Published in総合人間学 Vol. 17; pp. 80 - 95
Main Author 菅原, 想
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 総合人間学会 2023
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ISSN2188-1243
DOI10.57385/synanthro.17.0_80

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Summary:昨今の日本社会は不寛容な社会であると言われるが、そのような社会状況の背後には孤独や不安を抱える人間の権威主義的欲求がある。それは、確固たる支えへと埋没することによって不安を解消しようとする欲求である。その欲求は、自己反省の欠如や「わが家」をめぐる抑圧と排除の暴力として表出する。本稿では、現代社会の権威主義的欲求といかに向き合うかという問題について、E.フロムの自己愛の議論について検討する。不安を起点とする上述の連鎖は、自己愛によって絶つことができる。自己の存在に対する確かな肯定が不安を緩和する。自己愛が支えとなることで自己反省が可能になり、自己反省を通して「わが家」の絶対性は掘り崩され、抑圧と排除の暴力は軽減される。愛の論理は、他者非難の不可能性に気づかせ自己責任の意味を再提示する。さらに、安心な社会の実現に向けて道徳の徹底とは異なる方向性として迷惑を受容しあう社会の可能性を提示する。平和な社会の実現を目指すのであれば、愛(思いやり)という基本的態度についての検討を欠くことはできない。平和な社会の基礎となる自己愛は他者から愛されることによって育まれる。他者から愛されることが自己愛を可能にし、自己愛が他者を愛することを可能にする。
ISSN:2188-1243
DOI:10.57385/synanthro.17.0_80