集合的トラウマと災害復興に関する理論的検討 カイ・エリクソン『Everything in its Path』を読み返す

本論文は、カイ・T・エリクソン(1976)“Everything in its Path” で提起された概念「集合的トラウマCollective trauma」を現代の日本の文脈で読み返すことを意図し、理論的検討を図るものである。はじめに、本著における集合的トラウマとは、一般的な理解におけるトラウマ(心的外傷)つまり、個別的トラウマIndividual traumaとは異なり、個人が依拠する共同体との結びつきの喪失による外傷を指していることを説明する。次に、本著がアメリカにおいて、心理学的には(個別的)トラウマの二次的な症状として位置づけられ(集合的トラウマの個人化)、社会学的には社会構築主義...

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Bibliographic Details
Published in日本災害復興学会論文集 Vol. 16; pp. 37 - 46
Main Authors 宮前, 良平, 大門, 大朗, 高原, 耕平
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本災害復興学会 2020
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ISSN2435-4147
DOI10.34606/jsdrr.16.0_37

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Summary:本論文は、カイ・T・エリクソン(1976)“Everything in its Path” で提起された概念「集合的トラウマCollective trauma」を現代の日本の文脈で読み返すことを意図し、理論的検討を図るものである。はじめに、本著における集合的トラウマとは、一般的な理解におけるトラウマ(心的外傷)つまり、個別的トラウマIndividual traumaとは異なり、個人が依拠する共同体との結びつきの喪失による外傷を指していることを説明する。次に、本著がアメリカにおいて、心理学的には(個別的)トラウマの二次的な症状として位置づけられ(集合的トラウマの個人化)、社会学的には社会構築主義における歴史的・国民的トラウマと比較し自然主義に陥っていると批判されてきたこと(集合的トラウマの社会化)を説明する。最後に、集合的トラウマを個人の「心理」や当事者から過度に逸脱した「社会」に帰すことなく、被災地がかかえる共同性(Communality)に着目することで、東日本大震災後の嵩上げ工事や福島原発事故の故郷喪失といった日本の問題においても「集合的トラウマ」が可能性を秘めた概念であることを提示する。
ISSN:2435-4147
DOI:10.34606/jsdrr.16.0_37