教師の生きられた経験と専門職としての資本 コロナ感染拡大期の学校における意思決定に着目して

本研究は,〈withコロナ期〉における教育者のナラティヴに着目し,専門職としての教師の資本や学校の組織特性の問題について議論することを目的としている。 COVID-19の感染拡大以降,日本国内でも,様々な教育不安の噴出により多くの議論が進められてきた。その中で生成されることとなったナラティヴとは,学校の生活に大きな拘束力を有してきた一方で,多様な文脈を通して多元的に方向付けられるものでもあった。本研究ではこの点に着目し,COVID-19に関する語りにアクセスすることで,日本の教師が置かれている仕事や生活上の特質と課題を描写する。 分析結果は次の3点である。第1に,教師の意思決定資本に潜む「訓練...

Full description

Saved in:
Bibliographic Details
Published in教育社会学研究 Vol. 112; pp. 31 - 51
Main Authors 白松, 賢, 伊勢本, 大, 藤村, 晃成, 梅田, 崇広
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 日本教育社会学会 20.07.2023
Subjects
Online AccessGet full text
ISSN0387-3145
2185-0186
DOI10.11151/eds.112.31

Cover

More Information
Summary:本研究は,〈withコロナ期〉における教育者のナラティヴに着目し,専門職としての教師の資本や学校の組織特性の問題について議論することを目的としている。 COVID-19の感染拡大以降,日本国内でも,様々な教育不安の噴出により多くの議論が進められてきた。その中で生成されることとなったナラティヴとは,学校の生活に大きな拘束力を有してきた一方で,多様な文脈を通して多元的に方向付けられるものでもあった。本研究ではこの点に着目し,COVID-19に関する語りにアクセスすることで,日本の教師が置かれている仕事や生活上の特質と課題を描写する。 分析結果は次の3点である。第1に,教師の意思決定資本に潜む「訓練された無能力」の蓄積である。インタビューからは,政府や行政の主導権をうまく利用し,学校全体で「上から言われること」を遂行しようとしていた教師の実践が示唆された。第2に,意思決定資本に潜む「ナラティヴ資本」の活用である。ナラティヴの統合的な「屈折」を利用する「ナラティヴ資本」から,学校の変革を生み出す可能性が見出された。第3に,〈子ども視点〉を欠如した意思決定資本の課題である。既存の不登校支援の枠組みに子どもを当てはめざるを得ない学校の特性が浮かび上がった。 以上から,学校教育が本来もっていた固有な物語の拘束性をめぐり,変革に向かうことが困難な専門職としての資本の問題を明らかにした。
ISSN:0387-3145
2185-0186
DOI:10.11151/eds.112.31