人新世の時代に自然観を問いなおす 独自の総合人間学の提唱者・廣池千九郎の自然観を手がかりに

本稿は、地球環境問題の深刻化が進む「人新世(Anthropocene)」と呼ばれる現代において、従来の人間中心的な自然支配の観点を見なおし、自然と人間の調和を目指す新たな自然観の構築の必要性を論じている。筆者はその手がかりとして、独自の総合人間学であるモラロジーの提唱者で法学博士の廣池千九郎(1866~1938)の自然観に注目する。廣池は自然を生命ある存在と捉え、動物や植物への慈悲(benevolence)と調和(harmony)を重んじる思想を持っていた。その立場は、スピノザ(1632~1677)の神即自然(Deus sive Natura)やレオポルド(1887~1948)の土地倫理(La...

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Published in総合人間学 Vol. 16; pp. 59 - 70
Main Author 竹中 信介
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 総合人間学会 2022
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ISSN2188-1243
DOI10.57385/synanthro.16.0_59

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Summary:本稿は、地球環境問題の深刻化が進む「人新世(Anthropocene)」と呼ばれる現代において、従来の人間中心的な自然支配の観点を見なおし、自然と人間の調和を目指す新たな自然観の構築の必要性を論じている。筆者はその手がかりとして、独自の総合人間学であるモラロジーの提唱者で法学博士の廣池千九郎(1866~1938)の自然観に注目する。廣池は自然を生命ある存在と捉え、動物や植物への慈悲(benevolence)と調和(harmony)を重んじる思想を持っていた。その立場は、スピノザ(1632~1677)の神即自然(Deus sive Natura)やレオポルド(1887~1948)の土地倫理(Land Ethic)、ネス(1912~2009)のディープ・エコロジーなどの思想とも親和性があり、現代の環境倫理や「創発自己組織系」としての自然の観方にも通じる。さらに、廣池は「生物を殺さず、仁草木に及ぶ」という実践的格言を通じて自然保護の重要性を説き、持続可能な社会の実現に向けた先駆的思想を提示していた。本稿は、廣池の思想を現代に生かし、未来世代への自然の継承を可能にする道を模索するものである。
ISSN:2188-1243
DOI:10.57385/synanthro.16.0_59