学習障害(LD)はいかにして「中枢神経系の機能障害」となったか 障害の原因論選択の議論における生物医学モデルと障害の社会モデルのせめぎあい
本研究は,LD(学習障害)の文部省定義(1999年)の作成過程において「中枢神経系の機能障害」という生物学的原因論がどのように採用されたのかについて,文部省定義に関する行政資料と回顧文書から明らかにした。 本研究の社会学的関心は,病の原因論が選択される過程で,生物医学モデルとその他のモデルがどのように並存するのかというものである。先行研究では,LDは医療化(=生物医学モデルの浸透)の事例として研究されてきた。しかし,当時の医学研究ではLDの生物医学的原因の有無を確認できたのはLD児の3割であったほか,治療法も未確立であった。また,LDは当時教育概念と言われており,医学からはある程度独立した概...
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Published in | 教育社会学研究 Vol. 104; pp. 193 - 214 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
日本教育社会学会
30.06.2019
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Subjects | |
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ISSN | 0387-3145 2185-0186 |
DOI | 10.11151/eds.104.193 |
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Summary: | 本研究は,LD(学習障害)の文部省定義(1999年)の作成過程において「中枢神経系の機能障害」という生物学的原因論がどのように採用されたのかについて,文部省定義に関する行政資料と回顧文書から明らかにした。 本研究の社会学的関心は,病の原因論が選択される過程で,生物医学モデルとその他のモデルがどのように並存するのかというものである。先行研究では,LDは医療化(=生物医学モデルの浸透)の事例として研究されてきた。しかし,当時の医学研究ではLDの生物医学的原因の有無を確認できたのはLD児の3割であったほか,治療法も未確立であった。また,LDは当時教育概念と言われており,医学からはある程度独立した概念であった。LDが必ずしも生物医学モデルによって把握できなかったという事実を踏まえてLDという現象を説明するには,単に生物医学モデルの浸透の事例としてではなく,病を捉えるモデルが多様化するなかでその概念や原因論が争われた事例として分析を行う必要がある。 分析の結果,文部省の議論では生物学的原因論を明記するアメリカ案と障害の社会モデルに基づいたイギリス案が検討されたが,①LDが通常の教育では指導できない存在であることを強調でき,②新たに増加する障害児の数が比較的少なく現場の混乱が少ないという利点から,アメリカ案が選択されたことがわかった。当時の社会・制度的状況が考慮された結果,イギリス案は適切ではないと判断されたのである。 |
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ISSN: | 0387-3145 2185-0186 |
DOI: | 10.11151/eds.104.193 |