新潟水俣病関係30剖検例の病理学的・生化学的研究

緒言 熊本大学医学部で剖検された水俣病に関す450例について, これまで国立水俣病研究センター(リサーチ・リソース・バンク)で剖検資料の整理を行い, 現在, 全剖検例のリスト及び剖検所見の集大成を英文でまとめた著書(1)がある. 新潟水俣病は1985年6月にその発生が公表された. 熊本県水俣湾および八代海周辺の水俣病公式確認が1956年5月1日であり, 本年が50周年を迎えている. 新潟水俣病の発生はその後9年の歳月を経ているのである. 新潟県における最初の剖検例が1965年3月21日であるので, この時点では奇病発生として剖検されて, メチル水銀中毒であることが確認された. その後, 新潟大...

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Published in日本衛生学雑誌 Vol. 62; no. 1; pp. 70 - 88
Main Authors 衞藤光明, 高橋 均, 柿田明美, 徳永英博, 安武 章, 中野篤浩, 澤田倍美, 金城芳秀
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本衛生学会 01.01.2007
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ISSN0021-5082

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Summary:緒言 熊本大学医学部で剖検された水俣病に関す450例について, これまで国立水俣病研究センター(リサーチ・リソース・バンク)で剖検資料の整理を行い, 現在, 全剖検例のリスト及び剖検所見の集大成を英文でまとめた著書(1)がある. 新潟水俣病は1985年6月にその発生が公表された. 熊本県水俣湾および八代海周辺の水俣病公式確認が1956年5月1日であり, 本年が50周年を迎えている. 新潟水俣病の発生はその後9年の歳月を経ているのである. 新潟県における最初の剖検例が1965年3月21日であるので, この時点では奇病発生として剖検されて, メチル水銀中毒であることが確認された. その後, 新潟大学医学部の調査が開始されたが, 水俣では工場から排泄された有毒物質が何かの解明に主力が注がれたが, 新潟では原因物質がメチル水銀であることが分かっており, それがどこから由来したかの追求に主力が注がれた(2). 最初の2例は小宅らによって雑誌への投稿がなされている(3, 4). その他の症例の一部は, 環境庁(現環境省)の研究班会議(日本公衆衛生協会)で報告書としてまとめられているが, 雑誌への掲載はなされていなかった.
ISSN:0021-5082