ヤマチャに依存した明治期の熊本茶業

熊本県球磨郡五木村のヤマチャは,焼畑という原始的な農業の一環として茶生産に供されていた。焼畑の消滅でヤマチャによる茶生産も無くなり,辛うじて残っている園茶化されたヤマチャが当時の姿を今日に伝えている。 熊本は全国有数のヤマチャ地帯で,ヤマチャは球磨郡,八代郡,葦北郡と県南地域に多い。昭和初期までの熊本の茶栽培面積は,集団的に栽培されているものと散在的に栽培されているものとで大きく変動しているが,その時々の調査基準でヤマチャの取り扱いが異なることによる結果と考える。...

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Bibliographic Details
Published inChagyō kenkyū hōkoku Vol. 2014; no. 118; pp. 118_33 - 118_41
Main Author 坂本, 孝義
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本茶業学会 2014
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ISSN0366-6190
1883-941X
DOI10.5979/cha.2014.118_33

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Summary:熊本県球磨郡五木村のヤマチャは,焼畑という原始的な農業の一環として茶生産に供されていた。焼畑の消滅でヤマチャによる茶生産も無くなり,辛うじて残っている園茶化されたヤマチャが当時の姿を今日に伝えている。 熊本は全国有数のヤマチャ地帯で,ヤマチャは球磨郡,八代郡,葦北郡と県南地域に多い。昭和初期までの熊本の茶栽培面積は,集団的に栽培されているものと散在的に栽培されているものとで大きく変動しているが,その時々の調査基準でヤマチャの取り扱いが異なることによる結果と考える。
Bibliography:890228
ZZ00016154
ISSN:0366-6190
1883-941X
DOI:10.5979/cha.2014.118_33