黒澤明『八月の狂詩曲』の対位法にみる和解と狂気の技法

本稿の目的は、黒澤明の『八月の狂詩曲』(1991)における対位法の意義を、原爆映画史および黒澤の過去作品での音楽演出との比較によって検討することにある。その際、本稿が着目したのは、この対位法演出に も看取できる聖母マリアの修辞である。原爆映画史において聖母マリアのモチーフは、特に長崎を舞台とする作品で度々用いられてきた。聖母マリアは爆心地・浦上地区のカトリック信仰を象徴する無垢な被爆者表象として機能しただけでなく、日本的なものと西洋的なものが融合したイメージとして、占領期の原爆言説とも密接な関わりをもつ。本稿では、日本で受容された対位法概念の二つの理解を参照し、黒澤が一度は般若心経の音声と聖母...

Full description

Saved in:
Bibliographic Details
Published in映画研究 Vol. 12; pp. 44 - 66
Main Author 片岡 佑介
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published The Japan Society for Cinema Studies 2017
日本映画学会
Subjects
Online AccessGet full text
ISSN1881-5324
2423-9399
DOI10.20758/jscsj.12.0_44

Cover

More Information
Summary:本稿の目的は、黒澤明の『八月の狂詩曲』(1991)における対位法の意義を、原爆映画史および黒澤の過去作品での音楽演出との比較によって検討することにある。その際、本稿が着目したのは、この対位法演出に も看取できる聖母マリアの修辞である。原爆映画史において聖母マリアのモチーフは、特に長崎を舞台とする作品で度々用いられてきた。聖母マリアは爆心地・浦上地区のカトリック信仰を象徴する無垢な被爆者表象として機能しただけでなく、日本的なものと西洋的なものが融合したイメージとして、占領期の原爆言説とも密接な関わりをもつ。本稿では、日本で受容された対位法概念の二つの理解を参照し、黒澤が一度は般若心経の音声と聖母マリアの修辞としての薔薇の映像による対位法で冷戦後の世界の表象としての和解のイメージを構成しつつ、映画の最後に自作では異例の物語世界外の音楽を用いた対位法で核への恐怖と狂気による和解の転覆を演出していることを明らかにした。
ISSN:1881-5324
2423-9399
DOI:10.20758/jscsj.12.0_44