世界のハンセン病政策に関する研究 ハワイにおける絶対隔離政策の変遷

ハワイでは19世紀半ばからハンセン病の蔓延が始まった。これに対してハワイ王国政府は1865年に公衆衛生政策としての隔離を決定、モロカイ島のカラワオを療養地とし、患者移送を始めた。患者の発見は密告と逮捕により行われ、容赦なくモロカイ島に送られた。政府は当初、カラワオで患者が自給自足する農業コロニーを目指したが、地理的特性や予算不足などが要因となり、農業コロニー構想は失敗し、カラワオは無法地帯となり、多くの混乱が生じた。1873年にはダミアン神父がカラワオに赴き、患者の救済を開始、政府との交渉にも務め、混乱は収拾された。その後、ハンセン病対策費の増加、治安システムの整備などによりカラワオには治安が...

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Published in日本ハンセン病学会雑誌 Vol. 86; no. 3; pp. 189 - 211
Main Author 森, 修一
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本ハンセン病学会 20.03.2018
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ISSN1342-3681
1884-314X
DOI10.5025/hansen.86.189

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Summary:ハワイでは19世紀半ばからハンセン病の蔓延が始まった。これに対してハワイ王国政府は1865年に公衆衛生政策としての隔離を決定、モロカイ島のカラワオを療養地とし、患者移送を始めた。患者の発見は密告と逮捕により行われ、容赦なくモロカイ島に送られた。政府は当初、カラワオで患者が自給自足する農業コロニーを目指したが、地理的特性や予算不足などが要因となり、農業コロニー構想は失敗し、カラワオは無法地帯となり、多くの混乱が生じた。1873年にはダミアン神父がカラワオに赴き、患者の救済を開始、政府との交渉にも務め、混乱は収拾された。その後、ハンセン病対策費の増加、治安システムの整備などによりカラワオには治安が確保され、療養地は近接するカラウパパへ拡がり、その拡充と制度の整備の過程とアメリカ合衆国の関与の中でハワイでは隔離政策が進展していった。
ISSN:1342-3681
1884-314X
DOI:10.5025/hansen.86.189